20170920


日記。


脳みそが弱く、性格の悪い人を見ると悲しくなる。

ふつう性格の悪い人は、性格が悪いなりの処世術を身につけているものだと思う。自分をよい人間に見せるなり、悪い部分を隠すなり、開き直るなり。

脳みそが弱くなってしまったせいで、そういった処世術が実行できない。そういう人もいる。自分をよい人間に見せようとする意図が、あまりにも見えてしまう。その場面場面ではよい人間らしい行動をとろうとしていることはわかる。

その人の主観的にはそれが最善手なのだろうけど(あえて最善手以外をとる人はそういないと思う)、あまりにも、わかりすぎる。わかりやすすぎる。この戦術は、自分が芯からよい人間だという表明、よい人間に見せようとしてやっているわけではないという表明を伴わなければ、成立しない。

脳みその弱さがそれを許さない。

その人も、よい人間らしい行動と、それが心の底からのものであるというメタメッセージを同時に実行しているはずだ。

でも、そんなことできるはずがない。

よい人間であろうという意図は、そう見せようという企画は、技術であり、技術は健全な脳みそじゃないと身につけることができない。実行できない。

それがわかってしまってその人を見るのは悲しい。